フィクションでの違法行為

スーパーカブ』というアニメの描写が一部で話題らしい。

 

主人公のバイク二人乗り描写が道交法違反であると。

 

自分はこの作品を見ていないので

大まかな議論の流れを把握しただけだが、

このケースに限らず「フィクションにおける違法行為の描写」というのは

定期的に話題になるテーマではある。

 

よくある反応というのが

ルパン三世も窃盗と非難するのか

・現実と創作(フィクション)は違う

・創作は自由

こんな感じの批判の批判。

 

的外れだなと。

 

そもそも、作品ごとにリアリティレベルというのは違うので、

違う作品を例に挙げる時点で意味が無い。

ルパンはそういう世界観で、そういうキャラが泥棒をやっていて、

更にその行為は反社会的なものとして描かれている、だから問題無い。

 

別作品と並べての比較が許されるなら、

あらゆる作品の批判は「ボーボボはもっとめちゃくちゃやっている」で

封殺されるだろう。

言論の死である。

 

 

現実と創作は違うだの、創作は自由だの、この辺に関しては

全くその通りだからやりたければやればいいよ、である。

 

そもそも、このケースのように作中の違法行為が議論になるのは

描写が「一定数の視聴者の倫理観に引っかかった」からだ。

 

そこの基準というのは個人によって違うので一概に言えるものではない。

殺人のような重犯罪よりも、例えば傘を盗むような身近な軽犯罪の方が

引っかかりやすい、とか。

なんならその行為自体は犯罪でなくても、小さな子供の前で喫煙するような描写が

特に子供がいる視聴者には引っかかる事もあるだろう。

 

 

 

今回の例のような「創作での違法描写はダメ」という批判を

一部は「表現の自由への冒涜」のように受け取っているようだが、

別にそんな話ではなく、

端的に言えば「つまらない」からダメというだけだ。

 

受け手の倫理観のラインというのは時代と共に変わるもので、

最近のラブコメでは風呂場覗きとか、

自分からエロに向かっていく主人公が少なくなってきたと言われるのも

受け手の価値観が「犯罪じゃん」「ヒロインが可哀想」となってきたから(だと思う)

 

創作は自由なので、別に令和の時代に

ヒロインの風呂を覗きに行くラブコメ主人公を描いてもいいんですよ。

でもそんなキャラは嫌われるし、商業作品としては悪手でしょう。

 

 

今回の『スーパーカブ』に限らず、創作での違法行為の描写が批判されるのは

制作側の感覚が受け手(の一定数)とズレている事が原因で、

発生している問題は「つまらなくなっている」事。

 

違法だからダメではないです、つまらないからダメです。

 

批判も、批判の批判も、そのまた批判も

どんどん論点がずれているものばかり目についたので書きました。

終わり。

 

 

 

 

 

 

遊戯王のコマ割り

よく言われる、遊戯王のコマ割りの上手さとして貼られるページ。

 

 

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バトルシティ編 遊戯VSマリク(人形)の1ページ。

ちなみに電子書籍だと文庫版12巻になります。

 

 

 

 

 

一般に漫画を読む時、読者の視線はS字に流れるとされています。

その流れに沿う形で画面を構成すると、読みやすい漫画になります。

 

それを踏まえて改めてこのページを見ると

 

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こうです。

 

枠線が全て斜めで、オシリスの攻撃にカットインの形で

遊戯とマリクの反応が差し込まれるという演出。

構図的にマリクのコマの後、

視線が1コマ目のマジシャン・ガールに戻るので

体感時間的にもまさにカットインしている感覚になります。

やっている事はかなり特殊で変則的なのに、このS字に沿っているので

迷うこともなく自然に読める!すごい!

 

 

 

──というのはその通りなんですけど、

大体言われてるのってそこまでなので、

このコマ割りがどうすごいのか、もう一歩説明したいと思います。

 

 

 

ここで意識したいのは、

漫画を流し読みする読者層の存在です。

実は世の中の人って案外ちゃんと漫画を読んでいない。

特に少年ジャンプ連載作品となればコンビニでパラパラッと眺めて

なんとなく展開を把握するような人の数も相当な数になるでしょう。

 

 

このページを流し読みすると、

視線の動きはこうなります。

 

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オシリスの攻撃方向にまっすぐ視線が流れて、そのまま次のページへ。

それで、必要最低限が伝わるようになっている。

 

 

このページ、5コマありますけど

そこで読者に届けなくてはいけない情報が何かと言うと

 

オシリスの攻撃でマジシャン・ガールがやられそう

・遊戯がそれに対して対策を発動

 

突き詰めるとこの二点です。

カットインのセリフなんかは名台詞なんですけど、

最悪読まなくてもいい。

ていうかこのページの吹き出し、一つも読まなくても

キャラの表情だけで最低限は伝わってしまうのです。

 

それを踏まえて見ると、「マジシャン・ガール守備力1700」という情報も

確かにオシリスの攻撃力2000より下である事の提示は一応必要なんですが

別に無くても表情だけでやられる事はわかるので、

読まなくても大丈夫なものとして

視線の流れからちょっと外れた所に置かれているのがわかります。

 

 

 

出来るか?そんなん。

これ週刊連載の中の1ページとして普通にやってるってマジか??

漫画家ではない、神だ。

 

 

キングコング西野が大嫌いという話

私はキングコング西野が嫌いだ。

 

絵本の無料公開関連の発言で炎上しているらしいが、

それよりもっと前から嫌いだ。

 

 

単純に面白くないから嫌いだ。

芸人としての技術も無いのにプライドだけは人一倍高く、

他人を貶める形でイジる事しか出来ず、

そのくせ他人にイジられると露骨に不機嫌になる。

 

コイツクソだなとずっと思っていた。

 

 

西野の事が決定的に嫌いになった出来事、というかテレビ番組を

今でも覚えている。

確か夕食時についていたテレビでやっていた番組に、

キングコングも出演していたのだったと思う。

 

 

その内容は、小学生達が自分達の力でピザを作って、

普段の感謝を込めて母親たちに振る舞うというもの。

進行役みたいなポジションがキングコングだったわけだ。

 

小学生達は一生懸命頑張って、ついに立派なピザが完成。

母親達に振る舞います。

母親達は、子供が一生懸命作ってくれた事、

小さかった子供がこんな事が出来るほどに成長したのかと

感激しながらピザを食べて、めでたしめでたし。

 

 

……で終わるはずだったのが。

 

ピザを食べている母親達を見て、西野が口を開きます。

 

西野「あー、タカシの母ちゃん、おかわりしとるぞー(笑)」

 

タカシ「食い意地ババア!」

 

タカシ母(苦笑)

 

 

 

名前とか正確なセリフまでは覚えていないけど、

流れとしては完全にこんな感じ。

 

 

いやわかるんですよ。タカシ(仮名)の気持ち。

小学生男子ともなれば、友達の前でのプライドとかもあるし、

お前の母ちゃん食い意地はってんな(笑)みたいな言い方されたら、

そこは言っちゃう。ババアって言っちゃう。

 

 

だけどさ。

タカシは、本当はお母さんの事ババアって言いたくなかったと思うよ?

何でわざわざお母さんのために作ったピザをおかわりしてもらって

ババア呼ばわりすんだよって話で。

煽られたからつい強がって言っちゃっただけだと思うんですよ。

 

それ自体は、子供が成長する過程で、

日常の中で、時にはそんな事もあるかなくらいの出来事なんですけど。

でもこれ、テレビなんですよね。

 

全国…だったのかは知らないけど、

少なくとも関東一帯ではそれが放送されてしまったんですよ。

夕食時にやっているような番組、一体どれほどの人がそれを観ていた事でしょうか。

そんな舞台で、お母さんを食い意地ババア呼ばわりしてしまったんですよ。

 

お母さんもテレビで恥かかされて苦笑いするしかないけど、

むしろタカシこそ傷付いているのではないか。

後から泣いてゴメンナサイと謝って、

いいよ、ピザ美味しかったよと言ってもらえた所で、

(タカシがよっぽどのクズでなければ)

自分の母親をテレビで食い意地ババア呼ばわりしてしまった事実は

いつまでも胸の傷として残り続けるのでしょう。

 

 

たまたまその番組を観て、私は本当に嫌な気持ちになった。

この西野って野郎はなんて不快なゴミクズ野郎なんだと。

 

これが明石家さんまだったら、絶対にこうはならない。

 

「いや〜、お母さん!おかわりまでしてくださって!」

「えぇ、すごく美味しくって」

「頑張って作って良かったなぁタカシ!」

「うん!」

 

ほら。そこにあるのはみんなが幸せな世界だ。

 

実際、一般人がテレビに出演する中で芸能人に対して

「は?テメーふざけんな」とかなかなか言えないじゃないですか。

本当のプロは、それがわかっているから一般人と関わる時に気をつかうんです。

ゴミカスの西野は、それがわかっていないから、

もしくはわかっていながら優位性を利用して一般人を貶めて

笑いをとろうとするんです。

挙句、滑る。笑えない。

 

 

こんなクズが作った絵本、どんな綺麗事が描かれていようが

上辺だけの善人気取りとしか思えない。

無料と言われてなお見ようと思わない。

なんなら金をもらっても見たくないね。

 

西野、お前がタカシ親子の心に付けた傷を、

私は絶対に忘れないからな。

 

 

ポッピンQ、つまらなそう

アニメ映画、『ポッピンQ』が少し前に公開されたけれど

全然客が入っていない、という話題を見かけた。

 

最近『君の名は』『聲の形』『この世界の片隅に』と

劇場アニメのヒットが続いているので

これもなんだかんだそこそこヒットするのかなぁと思っていたけれど

現状ダメっぽい。

 

 

このアニメ、結構前からしつこいくらいにCMが流れまくっていて。

私はそれを見るたびに思っていた。

 

 

「クッソつまらなそう」

 

 

いやわからないけど。

実際本編を観たら、素晴らしい映像と素晴らしいストーリーで

感動してしまうのかもしれないけど。

しかし予告の時点でつまらなそうな映画を、

金と時間をかけて観るわけがないので。

私の中でポッピンQは永遠にクソつまらなそうなアニメでしかない。

 

 


「ポッピンQ」TVスポット 30秒 ストーリー編

 

この予告編。

つまらなそうじゃない?

 

まず、主人公っぽい少女の絶叫。

「ああぁぁぁあああああ!!!!!」

 

 

「うるせぇ」以外の感想が無い。

海とか屋上で叫ぶって本当にありきたりなシーンだし、

予告編の頭でそんなベッタベタなシーンを見せてくる時点で

もうつまらなそう。

 

 

 

そしていきなり舞台がファンタジーっぽい世界になり

「ここ…どこ?」

「ここは時の谷」

 

はいつまらなそう。

何、時の谷って。子供向けファンタジーですか?

いや子供向けに作ってるならそれは全く構わないけど、

オタク向けの時間帯にCMを打つな。

 

で……なんか主人公は陸上競技で負けたかなんかで

葛藤を抱えていて、それを仲間との絆で乗り越える的な感じでしょうか。

 

あと、いくつかある他の予告編によると

(CGの)ダンスで世界を救ったりするらしいですね。

何なの。この映画のメインは何なの。

 

 

この映画を予告編から判断すると

「観る前から見飽きた感じ、子供向けの内容」にしかならない。

 

そりゃ観ねぇよ。

見飽きた感じも大きいけど、何でわざわざ子供向けの話を観に行くんだと。

 

いや私はプリキュアが好きだし、

劇場版プリキュアを観に行くこともありました。

だけどそれは、TVシリーズを観た上でプリキュアが好きだから

劇場に足を運ぶわけで、

いきなりプリキュア程度の対象年齢のアニメに1800円出せと

言われても絶対に行かない。

 ポッピンQにはプリキュアが出ない。

 

 本当にどこの層を狙っている作品なのかよくわからない。

なんだかんだ、これだけCMでゴリ押しされたら

雰囲気に流されるオタク達が観に行くんじゃないかとも

思ったけれど、案外そうでもないらしい。

 

別にどうでもいい話なんだけど。

どうせもうダメなんだからCM流しまくるのはやめてほしい。

英語教育の方向性

Google翻訳の精度が向上したらしい。

口語体の文章も結構正確に訳してくるとか。

 

そういえばSiriなんかも、初期は全然使えねーって感じだったのが

今では結構正確に変換して上手い返しをしてくれるようになってきている。

 

技術は日進月歩なのだ。

 

 

 

そしてそんな話題を見かけるたびに思い出すのが、

「義務教育における英語教育の強化」という方向性。

 

正直コレね、バカじゃないかと思うんですよ。

 

世界はどんどん国際化している。←わかる

人種、国境の壁も無くなってきている。←わかる

共通の意思疎通手段としての言語、英語が必要だ。←わかる

だから英語教育の時間を増やそう。←なんでやねん

 

 

この発想、時代の変化を見据える上で

技術の進歩を全く念頭に置いていない。

 

みんながスマホを持っている時代、

そのスマホが正確な翻訳機として使える時代になったら、

英語に限らず多言語を自分で話せる必要ってもう無いんですよ。

 

耳に付けたら相手の言語を自動で判断して日本語に通訳してくれるインカムとか、

5年後、10年後を考えればもう決して夢物語では無くなっているし、

英語の文章をカメラで映したら画面に翻訳されて表示されるような

アプリだってきっと出てくると思う。

 

 

そんな時代になった時、本当に必要なのは母国語である日本語教育だ。

基本的に、母国語で表現出来ない事を他国言語で表現する事は出来ないのだ。

 

英語教育を強化しようという発想は、

これからの時代に適合していないばかりか

「日本人なら日本語が出来る」という前提の上に成り立っている。

 

そんなわけがない。

これを言っている人間は、インターネットを使った事が無いのだろうか?

なんでもかんでも「ヤバい」の一言で表現してしまう

語彙力の低下なんてのは可愛いもので、

文章の要旨を全く正反対に受け取って発狂大騒ぎする人間(動物並)が

インターネットには溢れているのだ。

 

作者がこの文章で言いたい事はなんでしょう?っていう問題の重要性、

インターネットが普及するほどに強く感じている。

 

 

大事なのは英語よりも国語、とは言ったけれど

じゃあ全部自動翻訳されるなら英語いらないかって言うとそういうわけでもなくて。

ある程度はいちいち機械通さず理解出来て困る事は無いし、

何より言語の違いとは考え方の違いだから。

 

中学校の初歩で習うような事だと

英語では常に主語をはっきりさせます、とか

数えるもの、数えないものに分かれます、とか。

 

相互理解のために、相手がどうやって物事を考えているのかを知るという意味で

英語教育自体は必要だと思うけれど。

他を削ってまで強化する必要は無いよね、絶対に。

 

 

そうやって国語よりも英語を多く習った世代、

多国言語を自分で使える必要性が無くなった未来において

「言語喪失の世代」とか言われていそうだ。

 

その小学生は本当に天才なのか

具体的に誰ってわけじゃないんですけど、時々いるじゃないですか。

“天才小学生”みたいな肩書きの子供。

 

その中で時々いるのが“天才小学生ドラマー”みたいな人。

確かに、小学生とは思えないようなドラムプレイを見せている。

 

 

しかし思うのが、「そいつは本当に天才なのか?」という単純な疑問。

だって考えてみてください。

ドラムなんて、まずプレイヤーの絶対数が少ない。

 

例えばピアノとかって、小学生でこんなに弾けるんだすごいね!みたいな人

世の中たくさんいると思いますけど

その人達の大多数は別に天才扱いはされません。

何故なら、演奏者の数が多い楽器だから。

当然上には上がいる形になって、素人耳にはかなりの腕前に思えても

その世界ではまだまだみたいな扱いをされるわけです。

 

 

ではドラムの場合はどうか?

思い返してみても、小学校時代の友人で

家にピアノがある人は何人もいましたけど

家にドラムがあった人なんて一人もいない。

なんならドラムをやっているヤツすら小学校時代は一人も出会わなかった。

8ビートを叩けるだけで、その小学校で一番のドラマーになれる可能性だって

充分にあるくらいの感じではないでしょうか。

ドラムって、普通は親が子供に積極的に習わせるような楽器じゃないんですよね。

 

幼い頃からドラムをやっている人って、

大体が「親がドラムをやっていた」みたいな非常に稀有な家庭に生まれた

パターンなんですよ。

普通の人が自分からドラムを始めたいと思うのってだいたい

中学、高校あたりでロックバンドに憧れて〜みたいな形で。

日本でトップレベルのドラマーであるLUNA SEAの真矢なんかも、

天才小学生だった時代は無いのです。

 

 

さて、大人顔負けのプレイをする小学6年生がいたといましょう。

小学校入学と同時にドラムを始めたとしたら、ドラム歴は5年です。

 

5年って、ドラムという楽器においては

そこそこの歴なんだよな。

 

高校1年生でドラムを始めてバンドを組んだ人が

20才でメジャーデビュー!って言ったら

もちろんそれは凄いんだけど、

別にそれで特別天才扱いとかされないじゃないですか。

5年って、プロになってもおかしくはない時間なんですよね。

 

もちろん、そもそもドラムをやりたいと思う事、

毎日練習して上達していく事、それ自体が才能と言えるわけで

小学生なのにかなり叩けるってのは才能はあるんだろうけど

それを小学生だからという理由で天才現る!みたいに持ち上げるのは違わないか。

 

 

ドラムに限らず、色んな世界で早熟な人っていうのはいますけど

多くの場合、その人が本当に天才なのかっていうのは

大人になるまでわからないんですよね。

 

子供なのにすでにプロの中でも凄いって言うなら

文句無しに天才と呼べるでしょうけど、

子供なのにプロ級、くらいではまだわからない。

 

凄いっちゃ凄いけど、最終的にプロとしては並くらいで終わるのなら

天才かって言うとそうでもない感じじゃないですか。

 

あんまり幼い頃から持ち上げすぎちゃうと、

最悪そこが人生のピークになってしまうじゃん。

そういうのって可哀想だよねっていう、それだけなんですけど。

 

 

 

ところで歌くらいならまだしも、

ドラムの上手い下手をちゃんと評価出来る人なんて

世の中そんなにいませんよね。

もちろん私はわからないよ。

単純にめちゃくちゃ速いフレーズを叩ける人は技術あるんだろうなって思うけど、

“一見シンプルながらも実際やるとすごく難しいフレーズ”とかって

どんな楽器でもあって。

この曲はそういうフレーズなんだよ、とか言われても

「ほぉーん……」くらいしか思えません。

クラシック楽器の国際コンクールとか観ても、

何が基準で順位が決まってるのかもわかりません。全員上手い。

 

そういうのもあって、コイツは本当に天才なのだろうか?って

思うのだけど。

世の中には自分が出来ない事を、それを子供が出来るってだけで

よくわからないのに凄い凄いと褒めまくるヤツいるからな。

わかる人の正当な評価が埋もれて割と害悪だと思う。

ガルパン劇場版つまらない論

ガールズアンドパンツァー、通称ガルパン

その劇場版が大ヒットしていますね。

BDが発売されてもまだ劇場が満席になるとか、

流石に何かに取り憑かれているとしか思えないけれど

それほどまでにファンに「劇場で観たい」と思わせるのは

“劇場版”として作られる作品としては理想なのかもしれない。

 

CDが売れなくなってもライブ動員は減っていなかったり、

ガルパンでも大音量上映や4DX上映が大人気だったり、

これからのエンタメ業界は“体験”が

重要なキーワードになっていくのでしょう。

 

 

閑話休題

 

 

しかしそんなガルパン劇場版も、

一部には「つまらない」と評価する人がいます。

それも普段からたくさん映画を観ているような人が。

 

散見した感想としては、大体が

「戦車戦は迫力があるが、ドラマパートが退屈」という感じ。

 

 

別にいいんですよ。

感想なんて人それぞれ。どんな感想を述べるのも自由です。

だけど、ちょっと気になるのが

そういう事言ってる人って、いきなり劇場版観てない?って事。

 

 

あれはテレビシリーズがあって、OVAがあって、

それを踏まえての続編の物語なんですよ。

 

もちろん劇場版ってのは映画なら何でも観るような人とか

付き添いで来るような人も想定されるので、

ご存知の通り、冒頭に最低限の設定説明も入って、

意味くらいはわかるように作られていますよ、この作品も。

 

 

だけど、ガルパンが何故面白いのか、

言い換えればファンは何故ガルパンが好きなのかって言ったら

結局はキャラクターが好きだからなんですよね。

これはガルパンに限らず、ほとんど全てのエンタメ作品に当てはまる話ですが。

派手な戦車戦の魅力とかっていうのは、あくまでその上でのもので。

 

 

スポーツにしても、

贔屓にしているチームの試合は手に汗握って応援しても、

興味無いチーム同士の試合にそこまで熱くなれないように。

キャラクターが好きだから、

そのキャラクター達による戦車戦も面白いという構図なのですね。

また戦いが面白いから、その戦いをするキャラ達がまた好きになるという

ループによって、ファンのガルパン熱は無限に上昇していくわけです。

 

 

 

で、そのキャラが好きという前提は

当然ながらTVシリーズ、OVAによって作られていて、

劇場版も一応初見にわかるように配慮はしながらも

基本としてはTV、OVAファン向けとして作られているわけですね。

 

そんな作品を、キャラが好きという前提を持たないまま観て

つまらなかったと言われても、作品の評価として価値が無い。

Amazonレビューで「届くのが遅かったから☆1」って書かれてるような。

 

 

だって、TVシリーズを観ないままガルパン劇場版を観た人って

「ちょっと待ったー!!」ってシーンでも

「ふぅん……(以前戦ったらしいヤツらが仲間になるのね)」くらいしか

思えないわけですよ。

そりゃつまんねぇよ。当たり前だよ。

 

批判されがちな中盤ドラマパートにしても、

そういう人って例えば風紀委員がダラけてるシーンを

何の感想も無く観ているわけですよ。

TVシリーズを観た人なら、「あれほど風紀にうるさかった風紀委員が

こんなになってしまうなんて…!!」と事の重大さを感じるシーンで

まさかの感想無しですよ。

全編通してそんな感じだよ。

そんなのつまらないに決まってるだろ!!

 

むしろ意外と見かけた「劇場版でガルパン初見だったけど面白かったー!!」

みたいな感想すらマジかよって思うもんな。

いや面白かったなら良かったけど。

コンテンツを積極的に楽しもうとする能力が高いな?

 

 

あくまで、作品を批判するなとは思わない。

例えば「テレビ版で決着したはずの廃校問題を蒸し返すのはしつこく感じた」

といった感想は、確かにそう思う人もいるだろうなと感じる、

言うなれば価値のある評価だ。

 

だけど、本来必要とされる事前知識すら無いまま

「つまらない」と言われても、

「そう……」としか言いようが無い。

そういう人は、内容を理解さえ出来たのなら

制作側はノルマを果たしたと言えると思う。

 

 

私が見かけた「ガルパンつまらない」って人は

基本映画好きでたくさん映画観てるっぽい感じだったのだけれど、

自分が「劇場版ガルパン」を評価出来る段階にいないのでは?という

発想にはならないのだろうか?

 

 

映画って、大体の場合2作目だけとか観ても

独立して楽しめるようにはなっているからその感覚なのだろうか。

 

しかしガルパンに関しては、TVシリーズすら観ていない評価には意味が無い。

そしてTVシリーズを観た上で、劇場版まで観に行こうと思うような人には

大体絶賛されている。

それが作品の本来の評価なのでは。

 

 

 

とは言え、人気らしいから全然知らないけど

映画観に行ってみようかな〜って人には

TVシリーズ未見の上での感想も価値があるかもしれない。

ガルパンつまらないと言う人はせめて

TVシリーズ、OVAを観たかどうかも合わせてコメントしてほしい。

 

そうじゃないと、アプリレビューで

「英語がわからないので☆1」って書いてる人と同レベルだ。