百合の絵柄

百合ってのはつまり、女の子同士の恋愛だったり

友情以上恋愛未満の絶妙な関係性だったり、

そういうものを愛でようというジャンルなわけです。

 

百合とレズは違う!とか熱弁する人もいるみたいですが、

個人的に呼び方はどうでもよくて。

女の子同士の関係性こそが本質であり、重要な部分なのですね。

 

 

で、この百合好き……百合厨とか百合豚とか蔑称で呼ばれる事もある人達が

よく言っているのが

「男の影が見えてはいけない」という事。

 

そんなのジャンル的に考えて当たり前じゃん?と

思うかもしれない。

しかし、ここで言う男の影とは本当に影の話。

 

例えば、2人の女の子が抱き合っているイラストがあったとしよう。

普通の人は、女の子同士で抱き合っているのだからこれは百合だと判断する。

しかし、百合厨はそれだけでは納得しない。

重要なのは、2人の視線なのだ。

描かれた人物の視線が画面手前側、カメラの方向を向いていたら、

それは百合ではないのだ。

 

イラストとして考えた時、何となく人物の視線を

カメラの方、つまり受け手に向けるのは自然な事のように思えるが、

それは百合において最も重要な2人の関係性を破壊する行為になるのだ。

 

さらに言うと、受け手として想定されているのが男性なら

それってもう男を見ているよね?みたいな。

 

構図・シチュエーションに依るので一概に言えるものではないが、

百合において視線はもう一人の相手へ向いていなければならないのだ。

 

 

 

 

うわー…

百合豚って怖いですね……

なんかこういうの…

 

 

 

理解るわ。

 

 

 

ていうかね、私に言わせればキャラ同士が向き合ってるだけでOKってのも

ぬるい基準ですよ。

どんなにキャラ同士が受け手を無視して2人の世界に入り込んでいようと

絵柄が萌え系と言うか、明確に男性オタクを対象とした物な時点で

そんなのはファッションレズですよ。

本質が男性を向いていると言えるわけだからね。

 

百合なんてものは、女性同士の関係が女性向けに描かれているものを

男はこっそり覗かせてもらうくらいでいいんですよ。

 

 

 

だから私は百合姫とかも読んだことが無い。

や、読んだ事が無いので実はちゃんとした百合作品がたくさん

載っているのかもしれないんですけどね。

でもいつ書店で見かけても「こんなのファッションレズに決まってる」と

思わされる絵が表紙を飾っているし、

なんならあんなものを喜んでいるヤツらは全員こじらせた萌え豚であって

百合好きではないくらいに思っている。

読んだ事も無いのにそれくらい思っている。

 

 

私に言わせれば、『ゆるゆり』よりも『プリキュア』の方が

レズだしちゃんと百合だよ。

プリキュアは女児の方を向いているからね。

ただの友達ではない、かといって恋でもない、

一緒にプリキュアという関係。

 

東映アニメーションは日本の女児をどうするつもりなんだ。

巨大な陰謀を感じるし、為す術もなく飲み込まれていきたい。

魔法つかいプリキュア!のキャラデザが好きな理由

現在放送されている、プリキュアシリーズの13作目『魔法つかいプリキュア!』

そのキャラクターデザインが好きだ。

 

何故好きか。

まずは単純に可愛い。

当たり前だ。プリキュアは可愛いものなのだ。

可愛いからプリキュアなのか、プリキュアだから可愛いのか、

その議論は今はおいておこう。

 

 

しかしそれは歴代プリキュアも同じ事だ。

魔法つかいプリキュア!、通称まほプリが特に良いと思う理由はまた別にある。

まほプリのキャラデザの魅力、それはキャラクターデザインにおいて

プリキュアに変身する事の本質」を表現している、ように感じからなのだ。

 

 

これまでのシリーズにおいてプリキュアに変身するのは

普通の女の子だったり異世界のプリンセスだったり様々だが、

変身によって起きる見た目の変化としては

 

・服装が変わる

・髪型、髪の色が変わる

 

基本はこの2点となっている。

(一部、身体が成長したり若返ったりといった例外もある)

 

 

さて、まほプリはどうだろうか。

キュアミラクル/朝比奈みらい、キュアマジカル/リコの2人。

まずは変身前を見てみたい。

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可愛い。

プリキュアは変身前からすでに可愛いのだ。

 

しかしこの表情、佇まいを見てどう思うだろうか。

なんというか、THE ポンコツと言った感じだ。

服装もなんだか子供っぽい。

実際2人は作中においても結構ポンコツなので、

キャラクター性を表現しているデザインであると言えよう。

 

 

そして変身後である。

 

 

 

 

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変身後ももちろん可愛い。

可愛いと同時に、カッコいい。

服装が違う、髪型が違う、それ以前に表情が明らかに違う。

どうした?ってなる。

 

この大人びた凛々しい表情を見て、

誰がポンコツなどと思うだろうか。輝きに満ちている。

 

作中において表現される事はあっても、

キャラクターデザインの時点で変身前と変身後で明確に

表情に差を付けている事って、これまで意外と無かったように思う。

 

 

プリキュアに変身するとはどういう事か?

素敵な髪型になる事、

可愛い衣装を着る事、

すごい力を手に入れる事、

その本質とは、「身近な女の子から憧れのお姉さんになる事」なのだ。

 

そんな忘れかけていた事に改めて気付かせてくれる。

だから魔法つかいプリキュアのキャラデザが好きなのだ。

 

 

なお、本編を観ていても「変身後は凛々しく大人っぽくなった」等とは

特に感じない。

そこもまた、まほプリの魅力であると言える。

メってなんやねん

 

話題になっていたツイート。

 

私も前から写メという表現は気になっていたけれど、

これは問題点がそもそも違う。

 

「写メ」とは当時のJ-PHONE(現Softbank)が提供していたメールに画像を添付して送受信するサービス、写メールの略称なわけで。

 

狭義においては、当時でもDoCoMoのケータイで写真を送信する事は

iショットであって写メールではない……みたいのはあったわけだけど、

実際この名称が、おそらく語呂の良さが理由で一番普及して、

サービス全体の代名詞となっている。

ゲーム機は全部ファミコンとか。

ソニー製じゃなくてもウォークマンって呼んじゃうとか。そういうの。

 

 

で、このツイート。

確かに奥さんの言うことは一理あるのだが、

そもそもツイート主の疑問点自体がずれているので

結果として返答も「ずれた上で一理ある」みたいな形になっている。

 

 

「写メ」って言い方が引っかかってる人、

結構世の中にいるらしいのだけど、

「今はメール添付じゃないから」引っかかっているわけじゃないよね?

 

 

重要なのは、写メールのメインは「送信」である事。

メールに付随したオプションサービスが画像添付。

だから今でも「写メ“送る”」という表現であれば

送信手段がLINEやファイル共有になっていようと、

添付されるのが撮影した写真でなくネットで拾ったイラストだろうと、

そこまで気にはならない、はず。

 

それはツイートにおいて妻が言っている

「今は下駄なんて入ってないけど下駄箱と呼ぶ」事であって、

過去にはそうだった名残なだけ。

 

 

 

気になるのは、単に携帯電話のカメラで写真を撮る行為を

「写メ」、「写メを“撮る”」と表現する事。

 

それはもう、J-PHONEが写メールサービスを提供していた当時であっても

間違った使い方だ。

だってそこにメール要素が全く存在していない。

 

時々見かける、普通に検索する事を「エゴサ」と言ったり

ただのコラ画像を「アイコラ」と呼んだりするような、

「わざわざ追加されている単語の意味が全く存在していない」状態の

間違いだから気になるのだ。

 

 

 

 

そもそも、何故ケータイで写真を撮る事をわざわざ写メと呼ぶのだろうか。

 

当時を振り返ってみると、

まだ「写ルンです」みたいなフィルムカメラが普通に使われていて

多くの人が始めて手にするデジタルカメラが携帯電話のカメラで、

ファインダーを覗き込んでシャッターを切る事と

画面を見ながらボタンを押す事を、

どこか別の行為と認識して言葉を分けてしまった所に

写メという言葉が入り込んだような。

そんな感覚がある。

 

 

生まれた時からカメラと言えばデジタルで、

携帯電話といえばiPhoneをはじめとするスマートフォンだった世代で

写メって言葉を使う人はいるのだろうか。

 

 

なんでもいいのだけど。

「写真」でいいじゃん。言いやすさ変わらないよ。