英語教育の方向性

Google翻訳の精度が向上したらしい。

口語体の文章も結構正確に訳してくるとか。

 

そういえばSiriなんかも、初期は全然使えねーって感じだったのが

今では結構正確に変換して上手い返しをしてくれるようになってきている。

 

技術は日進月歩なのだ。

 

 

 

そしてそんな話題を見かけるたびに思い出すのが、

「義務教育における英語教育の強化」という方向性。

 

正直コレね、バカじゃないかと思うんですよ。

 

世界はどんどん国際化している。←わかる

人種、国境の壁も無くなってきている。←わかる

共通の意思疎通手段としての言語、英語が必要だ。←わかる

だから英語教育の時間を増やそう。←なんでやねん

 

 

この発想、時代の変化を見据える上で

技術の進歩を全く念頭に置いていない。

 

みんながスマホを持っている時代、

そのスマホが正確な翻訳機として使える時代になったら、

英語に限らず多言語を自分で話せる必要ってもう無いんですよ。

 

耳に付けたら相手の言語を自動で判断して日本語に通訳してくれるインカムとか、

5年後、10年後を考えればもう決して夢物語では無くなっているし、

英語の文章をカメラで映したら画面に翻訳されて表示されるような

アプリだってきっと出てくると思う。

 

 

そんな時代になった時、本当に必要なのは母国語である日本語教育だ。

基本的に、母国語で表現出来ない事を他国言語で表現する事は出来ないのだ。

 

英語教育を強化しようという発想は、

これからの時代に適合していないばかりか

「日本人なら日本語が出来る」という前提の上に成り立っている。

 

そんなわけがない。

これを言っている人間は、インターネットを使った事が無いのだろうか?

なんでもかんでも「ヤバい」の一言で表現してしまう

語彙力の低下なんてのは可愛いもので、

文章の要旨を全く正反対に受け取って発狂大騒ぎする人間(動物並)が

インターネットには溢れているのだ。

 

作者がこの文章で言いたい事はなんでしょう?っていう問題の重要性、

インターネットが普及するほどに強く感じている。

 

 

大事なのは英語よりも国語、とは言ったけれど

じゃあ全部自動翻訳されるなら英語いらないかって言うとそういうわけでもなくて。

ある程度はいちいち機械通さず理解出来て困る事は無いし、

何より言語の違いとは考え方の違いだから。

 

中学校の初歩で習うような事だと

英語では常に主語をはっきりさせます、とか

数えるもの、数えないものに分かれます、とか。

 

相互理解のために、相手がどうやって物事を考えているのかを知るという意味で

英語教育自体は必要だと思うけれど。

他を削ってまで強化する必要は無いよね、絶対に。

 

 

そうやって国語よりも英語を多く習った世代、

多国言語を自分で使える必要性が無くなった未来において

「言語喪失の世代」とか言われていそうだ。